2013年9月25日水曜日

アメリカ   タイムマシン    ペガサス・プロジェクト

やっぱりあったタイムマシン    ペガサスプロジェクト      モントークと同じフェニックスプロジェクトのひとつだ!    


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瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (1)

シアトルに住むB 氏は、英国のケンブリッジ大学で修士課程を終えた後アメリカに戻って来て現在弁護士をしています。この彼の半生に渡る話しを私が聞いた時、まず私が思ったのは、是非日本の皆様にも直ぐに知らせたいと言う事でした。
これから私が語ることは、は、かなり非日常的なことですが、興味のある方のみ、読んで頂ければと思います。

彼は、1960年代初期、ニュージャージーのモーリスタウンにある、イタリア系の敬虔なカトリックの中流のごく幸せな5人の兄弟姉妹にに囲まれた家庭に末っ子として、生まれました。
父親は、航空技術エンジニアで、米軍のコンサルタントとして働いていたと言うことも重なり、彼が6歳位の時にもうすでにIQ が180もあったと言う事も有ってか、軍から注目されていたようです。

ある日、彼の父親が、彼に一緒に外に出かける様に言いました。
父親の運転で、しばらくするとカーティスライト航空機製造社の航空設備施設に着きました。
この会社は、1964年以来 B-70爆撃機を海軍に提供している、1940年来、ラム ジェトエンジンを開発した事で有名な会社です。そこの68号塔作業場の二階に手を引かれて上がって行ったということです。

すると、今までに見た事もないような、扇型状になっている2このスピーカーの様な物が見えて来ました。
その2台のスピーカーの様な物の間は、青く光る、ちょうどテレビのチャンネルとチャンネルの間でちらつくような感じの厚さ5cmぐらいの不思議な液体状の様なものが流れ落ちているようににみえる透明のスクリーンがありました。
このスピーカーの様な物は、高さ2.5mぐらいでスタンドの様な物の上に取り付けられていました。彼の父さんが彼に、手を取りながら、1-2-3と数えたら一緒にそこへ飛び込むんだヨ、と言われましたので、当時、まだ7歳半だったアンディ(と一応呼びます)君は、素直にお父さんと一緒にそこへジャンプをしました。




瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (2)

其の中に入ると、中は、光のトンネルの様で両側が透けて見えるようでした。2-3秒もするとトンネルの外に出ました。あたりを見渡すと建物の外は、都外の丘陵地帯で、その中腹に建っているようでした。

そして、そこがどうやら中継地点になっているらしく、更にもう一度同じ様に、光のトンネルの中に入りました。そこから出ると、ニューメキシ州の首都サンタフェでそこが、最終地点でした。駐車場には、車が予め用意されてあり、彼の父親の運転で一時間ほどの後、彼は、ロスアラモス国立研究所へと参ります。
そこでは、マンハッタン計画で有名なハロルドM アグニューは博士が彼らの到着を待っていました。(すずく)


※ロスアラモス国立研究所とは、マンハッタン計画など、日本でも戦前から原爆研究などで良く知られていますが、現在では、国家予算年間22億ドルほどの世界最大級の科学研究機関として物理、化学は、もちろん、数学、コンピューター、生物、医療、の他、地学や材料科学までの様々な分野で総合研究をしているので有名です。約1万3千人の科学者と技術者が働いています。

なお、『スターゲート』というSFのTV映画がありますが。そこで使われる装置が全くの円形であるのに対し、アンディ君使った瞬間移動装置は、カッコのように設定された2台の扇形の縦長の装置であったということです。
この装置は、ラルフパーソン社で組み立てられた物だったようです、1968年の話ですので現時点では、もっと改良されでいることだと思います。
もっとも彼が80年代、火星の地下基地へ行ったときは、ちょっと違った方法をとったということです。


瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (3)

アンディ君とお父さんが研究所の中に入りますと、アグニュー博士が待っていました。
3人で椅子に腰掛けるとアグニュー博士は、おとうさんに、『坊やは、幾つになるんですか』と尋ねられますので、アンディ君とお父さんは、そろって『6歳です』と答えました。

父:先生は、もうテレポート装置お使いになりましたか?

博士:まだです、でも時間をとってでも、早速、試して見たいと思っています。

父:快適でした。それにとても安全でした。

とアンディ君のほうえ向きなおって言いいました。

後で分かった事ですが、アンディ君のお父さんは非常に優秀な数学者でもあって軍の技術アドバイザーとして、もともとこの計画に深く関わって、ニコラテスラ博士のデザインを実用化する事に関して、会社から派遣されていたのです。プロジェクトは、高等研究機関の下に置かれていました。その後正式に国防高等研究機関とよばれるようになります。(DARPA-Defense Advanced Research Projects Agency). この研究機関は、いわゆるインターネットを開発したことで有名です。

テレポート効果に依って出来る光のトンネルは、アグニュー博士によって(Quantum Access plenum)と呼ばれ、時空間ホログラムである量子背景マトリクスの均衡点に作用し量子空間出入口を人工的に作り出す物です。基礎理論と実験に必要な設定器具の青図等は、晩年ニコラテスラがマンハッタンのホテルで亡くなった1943年にFBIが 没収した全資料をロスアラモス国立研究所が継続して研究したものを実用化しました。ロスアラモス国立研究所が研究員がいきずまったとき、タイムトラベルしてニコラテスラに会いに行き、改造点についてアイディアを頂いてきたという嘘みたいな逸話も残っています。


アンディ君をはじめとした140名程の小学生が選ばれ、此処で1973年頃まで、何度となく、テレポートやタイムトラベルの実験が行なわれることになるのです。いつもニュージャージからテレポートして、ニューメキシコ州サンタフェ市のバタン記念塔ビルに集合するようになります、10人の青グループのリーダーとして彼が報告しなければならなかったのは、まだ大学を出たばっかりの青年だった頃のビルリチャードソン、今のニューメキシコ州知事だったのです。(つずく)


瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (4)

こうして、アンディ君は、毎週のように軍の施設で長時間にわたる猛特訓を、他の児童と混じって受けることになります。
特にスーパーラーニング方式を使って歴史や科学技術史などの基礎知識を頭に叩き込むまなくては、なりませんでした。というのは、彼等は、タイムトラベルで過去に行って目撃しなければらない目標物もしくは、(ターゲット)事件について帰って来てから詳しく報告しなければならにからです。彼は、IQが180以上もあって現在メンサの会員なんですが、子供の時も優秀な成績をおさめて、色々なプロジェクトに抜擢される事になります。

こうして小さな子供たちを使って計画を進行させをしなければならなかった理由は、単に過去に戻った時、見馴れない環境の中で目駄々ないといいう他、量子背景マトリクスでのボトル効果(極秘軍事技術シリーズ 1-3を参照してください)が生じている際、人間の精神及び頭脳神経生理に対するストレスが大人のそれに比べて、非常に少ない等の利点があります。

大人では頭が変になってしまうような場合でも、子供なら大丈夫と言う訳です。
どうやら量子背景マトリクスにおいて必要で、特定な、時空間に継続的に存在する、電磁量子背景マトリクスに付帯する電磁波は、きわめて少量でも子供の場合は、対応できるらしいのです。
(子供が、地球上での特定の継続マトリクスに生理形態がまだしっかり固定されていないからかも知れません)
この量子空間出入口を作り出すのに使われたわれた技術は、どんな技術にも当てはまりますが、もっと改良されなければなりまりませんでしたが、開発初期は、いろいろと苦労したようで。

トンネルの出口が正確に設定出来なかったり、中にあって使える酸素の量が限られているのを知らずに、試験者(志願兵)が長いトンネルの中で窒息してしまう例もありました。

装置が、組み立てられた時に、そこで調整していた技術者が道具器具を取ろうとして誤って手を量子空間出入口に突っ込んでしまった事がありました。
それでその技術者が気ずいたときは、アフリカのど真中でありまして、研究所に戻って来るまで、なんと6週間かかったそうです。


また、一番最初に子供として実験者になったのは、アメリカ人では、なかったそうです。軍の関係でメキシコの貧困層の少年が、連れてこられて試験台に成ったといういきさつがあります。
(つずく)


瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (5)

  この量子空間出入口に入る時の注意事項について御話しましょう。1968年当時の装置の造る量子空間出入口の中では、金属でできているもの持ったまま入っては、いけません。というのは、電磁波の影響で熱せられ、火花が散るように作用してしまいます、これは、、現在、使われている電子レンジと同じような結果になります。一度メンバーの一人が忘れて小銭をポケットにいれたままタイムトラベルして、火花が散って恐い思いをしたと言っていました、その他、肉体にも少しですが脱水作用があることが後で判明しました。

そんなわけでアンディ君たちは、指導教官から、いつも施設に行く度にベルトを布製の物に変えるようにいつもいわれました。
また、映画にあるスターゲイトにあるように、行き先で装置が待っているわけでは、ありませんから、場合によっては、周りにいる人から見られる恐れもあります、突然何もないところに子供が7-8人現れる訳ですから他の通行人をビックリさせることもありました。


タイムトラベルについて、、、、
『本当は、行くのがイヤだったんです。なぜって、僕は、まだほんの小さな子供でしたし、戻ってこれない可能性だってあったんです。24時間任務の時には、夜に寝る前に寝床を見付けなくては、ならないんです。必ずしも、暖かい布団で寝れるなんてことはないんですよ。アグニュー博士と私の父が、代わる代わる、どうかね、面白いと思うよ、なんて言ってくるんです。其れで、仕方なく行きました、リンカーン大統領のゲティスバーグの演説へもいきました。』
(つずく)

このブログの転載です
http://blogs.yahoo.co.jp/mituboshi1000/folder/806804.html




タイムマシン    フェニックスプロジェクト  ペガサスプロジェクト    ブッシュは聞いた、自分の未来を!


アメリカはタイムトラベルで世界政治を動かしている! タイムマシンを持っている!ターミネーターの世界だ!ペガサス計画!
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瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (6)

『リンカーン大統領のゲティスバーグの演説を調査に行った時は、その時代に合うような物がなくて裸足でいきました。それで、歩いていると、当時の万屋の親切なおじさんがこえをかけてくれたんです。

『坊やなんではだしで歩いているんだね、怪我デモしたら大変だからブーツを履きなさい』といって店にある大きなブーツと、また寒いといけないというので大きな大人用のオーバーコートも一緒にくれました。(きっと、近代の青白い、小奇麗なアンディ君が場違いにその辺で歩いているのできっと良家の子供さんに見えたに違いないのです¬_Mituboshi;-)

そうして群衆が集まっているほうは、歩き出しました。
するとそこで見慣れた、大人のひとが立っているではありませんか。

よくみるとアンディ君のお父さんだったんです。ビックリして、『お父さん、こんな所でなにしているの、と聞くと、知らん振りしてそっぽを向いちゃうんです。参りましたよ、あの時は、、、現地の人たちの注意を引かないように行動しなければならないんです。後でわかったんですが、私の父が私が来たときの日時とは、違う日時に同じ調査に施設を出発していたのです。』

『また、後で、歴史の本なんかを見ていたら、リンカーン大統領のゲティスバーグの演説の写真があったんです。よく見ると群集に混じってボクが写っているんですよ、今でも、不思議ですよ。

それでも1971年頃には、この実験が中止になりました。それは、ボク達がリンカーン大統領の暗殺について調査しなければららなかった時です。
フォード歌劇場で、バルコニーの後ろで待っているわけなんです、誰か銃を持って入って来るかを見るために、それでそこから立ち退くように言われて、結局は、見れなかったんですが、それで同じ場所に何回も送られるんです、すると、その時、奇妙な事が起こるんです、毎回毎回、様子が少しずつ違うんです、来る人とか、そのへんを、歩いている人と人の距離とかが僅かに、この調査には、ほかの子供も派遣されたんですが皆同じことを言いました。、、』

その後、少しして、アルバーカーキー市サンディア軍施設の地下の会議場にみんなが集められ、ミーティングが行なわれました。
ペンタゴンから派遣されていた監督は、当時のロナルドラムズフィールド氏だったそうです。彼が、壇上に立って結果報告をします。『皆さん、米軍部は、皆さんの献身と努力にとても感謝しています。あなた方のやっている仕事は、防衛にとって非常に重要かつ不可欠な調査研究です。、、、しかしながら残念なことに過去へ行く調査は、打ち切れになりました。』会場では、ざわめきが生じます。

『最近の、数人の子供からの調査報告で、われわれのしていることが、タイムラインに影響を与えるこたおが判明したのです。司令官達がこの実験で、タイムラインをもてあそぶ事が極めて危険であると判断した為です。、、、』

(つずく)


瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (7)

ラムズフィールド氏とアンディ君のお父さんは、友達つきあいだったらしく、仕事の合間にアルバーカーキー市の近くのレストランでよく一緒になったといいます。
あるとき、お父さんがラムズフィールド氏にマーティーニをすすめて、話しかけます。
『ラミー、報告書にもあったけれど、調査では、将来君が国防省長官なるっていうじゃないか』それをうけて、ラムズフィールド氏は、
『それは、将来のタイムラインのひとつであって、実現するまでは、信じないネ』などとと話し合っている所を、小耳にしたりしているのです。

またある昼食会時でした、テーブルを三つもくっ付けてプロジェクト技術チーム(アンディ君のお父さんら他)、軍関係者、ラムズフィールド、チェイニーとブッシュ一家 (22-25名ほど)が集まっているなかに、当時25歳のジョージブッシュ(JR)が大声で笑いながら『ボクとボクの親父が将来大統領になるんっだて、、へへへ、、、、』などとアンディ君や辺りにいる人に喋っているのを目撃しています。
かれは1981年、UCLA の大学生だった時に、またオバマにも会った機会があり、その時オバマは、すでに将来大統領となることを知っていたと言います。


それがら、アンディ君は、自分の将来についでも、すでに軍が調査をしているのを知る事になります。

1971年、最初に彼がお父さんから見せてもらったCIAの資料には、彼が2008に出版するはずになっている『火星に存在する生物』がありました(実際、一年と少し前に同じ題名のリポートの発表されました)、それには、不思議なことに著者の彼の名前にまだなかったミドルネームがありました。
それをお父さんに聞くと、『堅洗礼、が済んでいないがらだよ』、といって時間をとってよく読むように言われたそうです。
また、1971年にこの、ペガサス計画に参加している時、お父さんが軍基地で仕事をしている間、彼の子守りをレストランのウエイトレス、コニー(お父さんの愛人だったそうです)がしていましたが、彼女がプールサイドで読んでいた本は、なんとアンディ君が将来書く予定になっている本だったのです。
(つずく)

このブログの転載です
http://blogs.yahoo.co.jp/mituboshi1000/folder/806804.html



極秘軍事技術シリーズ(11)
瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (8)
未来へのタイムトラベル
軍の施設で週3回(科学史、宇宙人情報、一般に知られていない本当の古代史など、その他CIA訓練で、小刀の使い方をはじめ、空手、合気道なのどの護身術、スパイのやり方等も含む。)1970年より長時間にわたって訓練を受けましたが、その教科課程のなかの一つに例のモンタックチェアー(極秘軍事技術シリーズ1-3を参照してください)
に座って自分の人生で未来に何をするのかを知る練習がありました

モンタックチェアーに座ると、将来の自分になることができます。
そしてそれを心の眼で見る事ができるのです。プロジェクト計画で一緒だった友人が今日は誰になったの?とき彼に聞いた時に、今日は、シアトルに住む弁護士だったヨ、と言った事を覚えているそうです。
(かれは、現に今 それから40年ほど経ってシアトルに住む弁護士です)


それから、クロノバイザーと言う装置があります。
もともとイタリアのカトリック教会の科学者で神父のペレギリーノ マリア エミエティという人が、グレゴリア聖歌の和音構成を研究しているときに、発見した効果で、過去あるいは未来の映像と音声を受信することが出来る物です。


その装置は平面画像でいわゆる2-Dですが、米軍は、それを元に3-Dの立体画像と音声が受信できる装置を開発しました、その効果場に立っていると、画像に写っている人と会話を交わしたりする事ができます。
この装置は、ニュージャージーに3箇所、そのひとつは、モリスタウンにあり、未来へのタイムトラベルの調査はもっぱらここでおこなわれました。
もうひとつの新しい機械は、ナッテリーのITT 防衛施設通信研究所にありました。アンディ君は、チタニウム皮膜に覆われたスーツに身を包み、クリスタルで出来ているヘルメットをかぶって約75cmほどの高さの台の上に立ちます。(それでも顔に火傷をしたそうです)
調査は、2013年にワシントンD.C.有る、最高裁判所がどうなっているがを調査する事です。


そこで水しぶきを感じたという事です。どうやら最高裁判所は、水面下に有る様なのです。それもかなり下の方で深さ30m位は有るようです。


(クロノバイザーから得られる画像は、タイムラインのひとつに過ぎず、未来が本当にその通りに、なるかどうかは、確率的にしか判らないそうです。


また近年なってその技術が噂されている所謂、ルッキング グラス技術というものがありますが、それから得られる画像も、確率的なもので、見る人によって将来の映像が違うそうです。また、ここで説明が必要なのは、なぜ大人では、なくてわざわざ子供がそういった危険な思いをしてまでこういったことのしなければならにかです。その理由は、いかにこうした装置を調整して、設定しても、大人がそこに立つと、その当時の技術では、
心臓の鼓動または、息ずかいなどが、効果場に影響して、装置が作動しなくなってしまうからなのです。)


冷や汗をたっぷりかいたアンディ君は、汗でだくだくになった足をブーツから抜きますと、後ろで見ていたと思っていた、お父さんがいないので、すぐにお父さんを探しにいきます。




瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (9)

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極秘軍事技術シリーズ(12)

瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (9)

アンディ:『ボクのお父さんは、どこに行きましたか?』

軍指導教官:『君のお父さんは、今さっき気を失いかけて、他の部屋へ、独りになりたいといって行かれたようだ。』

アンディ:『なぜ気を失ったんですか?』

軍指導教官:『君が、クロノバイザーの前から、一時期消えて見えなくなって、卒倒したようだが。』

アンディ:『一時期消えて見えなくなったんですか、、、』

軍指導教官:『そうだ、、、少佐がお待ちだから直ぐ報告に行きなさい。』と、軍隊調に指示されます。

アンディは、小さいときにこんな風に兵士のように扱われるのが面辛かったと言っています。 それで、急いで、隣の部屋で待っている少佐の所に案内されまた。その施設は、海軍情報局によって管理されていました、通路には、30ー40人ほどのスタッフが右往左往しています。

少佐:『目標物について報告したまえ。』

アンディ:『目標物は、水面下にありました、少佐』、自分が脱水状態になって喉がとても乾いているのを憶えます。

少佐:『なんてことだ、、、』少佐はいらいらしながらタバコに火をつけます。『なんでそんなことが分かるんだ。』と、ぶっきらぼうに問いただします。

誰かが、コップに水をいれて部屋に入いって来ます。

アンディ:『最高裁判所の前面にある新古典主義様式の円柱は、水ごけで覆われていました。やく100ヒィート(約33M)ほど下です。少佐』

少佐:『ん、、なるほど、、、、』少佐は、何かもうすでに知っているようでした。

これは、彼が10歳の時の事です。彼は、もう軍が、2012年の頃、地理上の大変化がアメリカ東海岸沿いで起こる可能性に備えて準備をしていると推測しています。たたしクロノバイザーで見る将来は、確率的な物だということもここに明記しておきます。

また軍は、彼に実際2025年まで実際にテレポート(タイムトラベル)させて、1970年から2025年までのタイムマガジンの記録(デジタル マイクロフィルム)何百mも持ち帰って、提出した事もあったということです。

1972-3年には、新しい装置がサンディア施設の体育館に設置されました、今までの装置より一段と強力な、スターゲイト(テレポート装置)で、2045年の米国南西部に送られました。

そこは、まるで理想的な公園の中にある研究開発村のようで公害も車もありません。
そしてアンディ君がそこに現れた瞬間に、セガウエーに乗った、2人の背の高く、若くて美人OL(一人は白人でもう1人は、黒人だったそうです、、、 将来は皆、美人美男になる? 遺伝子操作?、、、また背広にネクタイの男性もいたということです。-mituboshi) 嬢達が振り返って、『あら、アンディ君じゃないの!』と彼の方を向いて呼び掛けます。
彼は、将来なんらかの形で、その地区の人々に知られる様になるのでは、と考えられます。

(つずく)





瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (10)



 
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極秘軍事技術シリーズ(13)

瞬間移動技術とタイムトラベル技術 (10)

アンディ君地下基地へ、行く
2001年の調査で米国国防省の予算で明らかにされていない費用が約23億ドルありますが、これらの大部分は、来る地殻上の大変化があった場合、一部のあらかじめ決められた人口が生き残るために合衆国政府が緊急時にでも継続できるように地下基地施設を建設しているためだと言われています。
(ある調査によると180箇所以上あるそうです-mituboshi)コロラド州デンバーにある国際空港は、こうした施設の上に造られ、巨大な地下基地建設が目立たないように配慮されています。
緊急時に政府機能が麻痺しない様に既に、合衆国司法長官の事務局と環境保護庁が設定が終わったということです。

アンディ君は、こうした地下基地の2-3箇所を訪れたときのことを思い出しながらこういいます。
父に連れられて、地下基地へ、行った事があるのですが、エレベーターの壁がガラスになっているためにいるフロアーが何百階にも成っていて、がらんどうになってが見えるんです、それで高速エレベーターで下まで行くのに15分も掛かりました。

『お父さん、この基地は、いつ使える様になるの?』と聞くと。

『お父さんの居なくなったずっと後になるだろおうな』と答えたそうです。実際アンディ君のお父さんの、レイモンド・バシアゴ(バシャゴ)氏は、1990年に66歳でなくなっています。

彼が1972年に、訪れたのは、ニューメキシコ州ドルシー市の近く、アルチュレタ丘陵の下に造られたもので、コロラド州との境から約10kmほど北に行った所にある秘密基地と、合衆国連邦緊急事態管理庁のある、バージニア州ブルーモント市ウェザー山の地下施設です。

秘密連邦政府と軍は、このほか世界政府の管理の下、地球がもし、とても住めない状態になった時の準備の為、火星移住計画を持っていました、所謂”アルターナティヴ3”として知られている計画です。
(70年代に英国でドキュメンタリーになって放映がありましが、米国では、サンフランシスコで一回だけ放映が有った後、臨時中止になった番組で有名です、Youtube で御覧ください、まだ有ると思いますーMituboshi)

この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/mituboshi1000/9146633.htmlディ君


 


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