2014年3月20日木曜日

しつこく「里山資本主義」     


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2013年8月28日 (水)

22回目 しつこく「里山資本主義」

■H25年8月28日
22回目 しつこく「里山資本主義」
    ~人は個性をてらわずとも自尊心を持って生きていける~

 前回「里山資本主義」について書きました。話題が「経済・社会の在り方」0905_2 の理屈にかたよってしまいましたが、「里山資本主義」は同時に「人間の生き方」でもあると思っています。特に前回の話だけでは「実践しよう」とはどういうことか?ようわからん!と思われた方もおられると思います。今回はその辺の所を少しスローにお話できたらと思います。
<幸せの「青い鳥」はどこにいるの?>
 
以下武田邦彦氏のブログより引用します。これは幕末の日本社会を見聞したスイス人の記述だそうです。

 
-若干の大商人だけが莫大な富を持っているのに更に金儲けに夢中なのを除けば、人々は生活の出来る範囲で働き、人生を楽しんでいる。職人は自分の作る物に情熱を傾け、それがどれくらいの日数を要したのではなく、満足できたときに終わる-(「幸福」その四より)

 この時代(幕末から明治・大正の頃と思ってください)多くの人々は「個性を発揮しなさい!」と教育されることもなく、(これを戦後教育の悪弊という人も多いですね・・)自分の仕事に誇りを持って暮らしていました。
 
養老猛司氏がよく言ってますが、「仕事は社会のニーズによって生じるものであって、自分を仕事に適合させるのが当たり前であり、自分にふさわしい仕事を探すと言う考え方はおかしい」この意味で「自分探しはナンセンス」・・・その通りだと思います。
 「仕事」をする目的は究極的には「私を承認してもらう」ということしかないと考えます。余るほどお金を持っていても、仕事がなければかえって苦痛でしょう。しかし「承認される」ためには他者の存在が必要なわけです。
個性」が不要と言ってるわけではありません。それ以前に「社会性」が必要ということです。そのためには「ちゃんと他者を承認できる社会」が必要なのですが、これは後で述べるとしてまず「人間の生き方」の側から話を進めます。
 先ほど引用した「職人さん」は社会性を持ちながら(本人は意識して無いかもしれないが、一般的現代人と比べて)自尊心を持って暮らせていたように思います。なぜか。多分自分の身の廻り(自分の仕事、自分の住む街や人々)にちゃんと生きる価値を見出せていたからです。当時の人々はグローバルに見ると個人所得なり社会的権利のレベルは低かったかも知れない。でもそれとは関係なく、生きていく上で
「身近に見出せる価値」を有していたことが重要なんですよね。きっと。
 「当時の人々は衆愚的で井戸の中の蛙のようなものだからそれが出来たのだ」という反論もあろうかと思います。実際その後「モダニズム」に突入し、あらゆる人が同じ価値観の「豊かさ」を求めるようになりました。でも行きついた結果が「格差社会」であり、「自殺率の高い社会」ですよね。里山資本主義」は昔に還ろうという思想ではありません。グローバルな視点を持つからこそ見出せる
「身近に見出せる価値」を活用してこれからの社会を回す原動力にしようという思想です。まるで「幸せの青い鳥」のお話ですね。実際そういう価値観で暮らす私の友人のお話をいたします。
<S君の選択>
 S君は私の高校の同級生です。大学も同じですが彼は農学部卒で、製薬会社に就職しました。多分給料は私の何倍ももらってたのでは?と想像します。ところがある時、名簿の職業欄が「農業」となり、住所欄は和歌山の山奥の地名になっていました。彼の実家は大阪市内にあり、農業とは全く関係がありません。私が農業に係わり出した頃、興味があって、遊びに行きました。
 海沿いのJRの駅から車で山へ向かい、「どこまで行くんやー」と思う頃、彼の家に着きました。理由はわかりませんが、この地方は家同士が接近してなくて、山間に散在するような集落になっています。家の前は自分の田畑になっており、縁側に座ると、彼の栽培する作物と、「猿よけ」に飼ってると言う犬が走り回っているのが望めます。季節になると庭先に蛍が乱舞する光景が広がるとのこと。都会人には望むべくもない環境です。
 彼に「なぜこういう生活を選んだの?と尋ねました。曰く「都会で暮らすと、全て『お金』に支配される。そうではない生活がしたかった」・・・幸い奥さんも同じ価値観の持ち主だったようで、まるで和歌山版「大草原の小さな家」です。小学生の娘さんが回りで咲く花の名前をいっぱい教えてくれました。
 でもここまで山奥にする必要はあったの?と尋ねたところ、大阪府内では、彼のような新住民に農地を貸してくれるところは見つからず、ここでは受け入れてくれるという噂を頼りに、流れ着いたようです。同じようにして大阪から移住して来た人達を紹介してくれました。ある夫婦は大阪市内で商社に勤めてましたが、定年をきっかけに引っ越してきて「農家レストラン」を経営しています。自家栽培を徹底していて、店のまえの水田では合鴨農法の鴨たちが戯れています。2000円のランチを頂きましたが、受け取った価値はまさに「プライスレス!」チーズの燻製が絶品でしたが、「チーズは自家製でなくてすみません」とおっしゃってました。マスコミでも紹介されたそうで、地域のグルメスポットとなっています。こうして小規模ですが地域の経済が回ります。
 S君は「マネー資本主義」からは逃避したかもしれませんが、「社会」には以前よりコミットしています。「自分たちを受け入れてくれた人達を大事にしたい。そうでないと次に希望する人達が来れなくなる」という仲間意識が強いようです。こうして新しい「農村社会」が形成されつつあります。この人達は得られる収入も少ないが生活費があまりかからないので可能になったライフスタイルだという側面もあります。地元の人達にとっては当たり前でほったらかされていた「身近に見出せる価値」を彼らが活用しているわけですね。 
 
<包摂性のある社会>
 高度経済成長の時代に富を求めて若者は農村から都市に移動しました。輸出産業の拡大が優先され、農村は過疎化し「農村社会」が崩壊しました。一方、都市では新住民が大量に流入することで、旧来の秩序が崩壊し、「町民社会」も崩壊しました。結果個人と世界の間に存在した「中間社会」が空洞化し、個人がばらばらな価値観で世界に漂う社会になりました。成長を続け、利益を生み出せている間はよかったのですが、モノが飽和し、人口が減って経済が縮小せざるを得ない時代を迎えると、「負け組」が発生し、十分な分配が不可能となり、先ほど述べたような困った社会になりました。
 
「里山資本主義」はそうした社会に対する処方箋でもあります。つまり、身近な範囲で回っているサブシステム(中間社会)が存在することにより、「身近に見出せる価値」で生きていけるわけですね。もちろんメインシステム(グローバル社会)で元気よく活躍する人も不可欠なのですが、それだけでは逃げ場がありません。「20回目 伊坂幸太郎への依頼」にも書きましたが、システムは大きくなるほど「良心」が欠如して行く。だからなるべくサイズダウンすることが大事なんですね。そうすれば一人ひとりの存在価値も高まります。承認される可能性も高まります。浜矩子氏の言葉で言うと「エコ」で「スロー」で「やさしく」てみんなで助け合う社会というのは一見ひ弱なイメージですが実は蟻の生命力のようにしなやかで崩れにくい社会をつくれるのではと思います。
 
宮台真司はかつての秋葉原通り魔事件(挫折した若者が起こした無差別殺人事件)はよく言われる「格差社会が悪い問題」ではなく「誰か何とか言ってやれよ問題」だと表現しています。そのためには中間社会を再構成して「包摂性のある社会」を創る必要があると主張します。
 私が子供の頃(昭和40年頃)は、実家の農村はまさに包摂社会でした。以前書いたように、みかん農家の山村でしたが、うちの父親は、旦那さんが早くに亡くなった家のみかんをいつも車で市場まで運んでいました。知恵遅れの方がふらふらと歩いていると、「これを持って帰りな~」と言ってその日収穫した野菜をごく自然に分けあげていました。それは自分の父親を「かっこいいなー」と思った瞬間でした。


<あなたの街にも里山資本主義> 都市においても置き去りにされているが価値のあるものがたくさんあります。例えばよくシャッター通りと揶揄される駅前商店街や高齢者の余剰パワーとか。前回紹介したNHKの動画の中にありますが、お年寄りが子育て経験を生かして託児所に協力するという例はお年寄りと若いお母さんの双方にとって利のある、汎用性の高い事例ですよね。
 
藻谷浩介さんが「里山資本主義」のなかで、あなたも出来る事例として挙げているのは以下のような事例です。
①地元で取れたものを買う(地産地消ですね)

②人に何かを贈る時には自分の近所でしか手に入らないものを選ぶ(都内で採集したハチミツなんてあるそうですね)
③少し思い切った話としては、近所で放置された空き地があれば一時的に借りて畑にする。なんてのもあります。
 とにかく
「身近に見出せる価値」を活用して、そこに楽しみを見出せればそれがあなたの「里山資本主義」です。もうひとつ同書の中から引用させていただきます。
 
あなたはお金では買えない
(中略)里山資本主義の向こう側に広がる、実は大昔からあった金銭換算できない世界。そんな世界があることを知り、できればそこと触れ合いを深めていくことが、金銭換算できない本当の自分を得る入り口ではないだろうか。
 
 
以上「里山資本主義」という、とても夢のある考え方に出会い、これは応用性が高いと感じ、多くの人に知ってもらいたいと思って感想を記しました。別のところで得た知識を加えつつ、弱冠拡大解釈しながら述べています。

 「マネー資本主義」は大嫌いです。「株式会社」は人類の偉大な発明のひとつらしいですが、市場などという訳のわからないものに翻弄されないといけないと言うのは何とかならんのかと思います。銀行に誘われて入った投資信託ではだいぶ損をしました。それ以降私は銀行の人に次のように話をすることにしています。「お金を置いておきたいだけの理由で加入したのに、損をさせると言うのは『振り込め詐欺』より悪質や!詐欺なら詐欺師が奪った金を経済にまわせるが、投資で損をするなんて金を生かさずにどぶに捨てるようなもんや!もう私はいっさい投資なんかしません。貧乏でもいいから自分が汗かいた分だけで生きて行きますから!!!」


http://rib-arch.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/21-3b29.html

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