2014年4月26日土曜日

ながすねひこ イザバギ イザナミ スサノオ  ニギハヤヒ   皇祖神  高祖



倭国連合・邪馬台国女王 
 南方部族、ヤマト族シャーマン 卑弥呼 

 山口県下関市(長門)よりヤマト(桜井市)の鳥見に移る 

      ルーツを探して。。。            


左は藤原家  2行目は天皇家  中の列青色はクマソ・アラカヤ・狗奴国 右側赤字はやまと族・卑弥呼・出雲

 

天御中主尊(天皇、中臣、藤原共通先祖)

天八下尊        トコアマツ神           先行クマソ  徐福BC210年渡来 イ・モン・トン・ヤオ・タイ渡来

天八百万尊       ツヌグイノ神                                          
津速魂命        オオトノジノ神             やまと族雲南・ベトナム・台湾・奄美と経て熊本へ渡来
市千魂命        オモダルノ神          高朱蒙の息子沸流渡来AD0年    吉野ヶ里BC50年  
居々登魂命       イザナギノ神   居登王AD25年生 (金海金・許黄玉)

                                奴国金印を賜る57年           北九州・南九州・四                                                         国愛媛・長門・出雲

天児屋根尊      天照大神   天孫降臨AD100年頃 (ウガヤ・アラカヤ)    やまと族が王国建国                                                         スサノオ                                        倭国大いに乱れる 天押雲命        天忍穂耳尊                           ニギハヤヒ(AD155年~215年

天多祢伎命       ニニギ尊(日向)       卑弥呼女王となる189年(大和・桜井市・鳥見と長門・豊田)

宇佐津臣命       火遠理命(日向)                              狗奴国と戦う      

                                  ニギハヤヒ従者を連れてトミ(富見、鳥見)に東遷205年

御食津臣命       鵜葺草葺不合命(日向)(ウガヤ)         卑弥呼親魏倭王の印授かる239年

伊賀津臣命     神武天皇 241年か245年即位と結婚(伊須気余理比売/長脛彦の妹とニギハヤヒの娘)
                                                       卑弥呼死亡247年                              倭国乱れる梨ト臣命         《スイゼイ、安寧、イ徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化》  台与かイヨ女王になる249年

神聞勝命        崇神天皇254年没   倭トトヒモモソ姫死亡箸墓造営  
久志宇賀主命      垂仁天皇                                 大国主尊(出雲)国譲り  

国摩大鹿嶋命      景行天皇            倭姫

臣サ山命         成務天皇            ヤマトタケル クマソ征伐

アト耳命         仲哀天皇 362年死亡     クマソの乱で死亡 神功皇后

大小橋命         応神天皇 クマソ系 アラカヤ? 狗奴国の末裔か?            

亜麻ヒサ卿       仁徳天皇

音穂命          履中天皇、反正天皇、充恭天皇

阿ヒコ連         雄略天皇、安康天皇

真人大連         仁賢天皇、顕宗天皇

鎌大夫          武列天皇、継体天皇

 

イザナギとイザナミの息子スサノオは武勇伝が多い 

出雲のスサノオと大市比売の間に155年ニギハヤヒが生まれた。
倭国が大いに乱れたので出雲の国主は189年
一族の霊能者で甥の娘卑弥呼を長門から倭国連合(邪馬台国)女王として
奈良市宇陀市榛原町鳥見に送った。
205年ニギハヤヒは従者を連れてトミ(鳥見)に東遷した。

ニギハヤヒは長スネ彦を殺してその妹と結婚した、3人の子供をもうけた。

その一人が神武天皇と結婚した。神武天皇が初代天皇となった。

ニギハヤヒは皇祖神となった。卑弥呼は高祖か?

卑弥呼は下関市豊田町豊田湖に近い高台の冬の砦でなくなった。近くに眠っている。

卑弥呼が亡くなって国が乱れた。

欠史8代はその時の部族長を象徴しているのだろうか?

箸墓は180~190年に造営されたかもしれない。

とすれば、倭国大乱の時に亡くなった王の墓ということになる。

5人が眠っているという。

崇神天皇の時に造営されたとすれば

卑弥呼の遺髪あるいは遺留品と5人の殉死者の可能性が有る。

「ヤマトトトヒモモソ姫」は卑弥呼とその殉死者達という意味か?

この墓の造営で崇神天皇の権威が確定した。

 

孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命または倭迹迹姫命、『古事記』の夜麻登登母母曾毘賣命。近年、卑弥呼と同一人物として推定される候補の中では最有力の説となってきている。
 
霊天皇は北九州と長門のヤマト族長で海洋民族、太陽を崇める霊能力者であり、
その娘は百戦の指揮者だった、あるいは国の母、ということだろうか?
豊田をトヒと読めれば「倭と豊田の百戦の指揮者、あるいは国の母である姫」か?
登日でトヒなのではないかともかんがえられる。

 

まきむく遺跡で大型建物跡 http://blogs.yahoo.co.jp/nagaiufo/33112404.html

 

皇祖神ニギハヤヒの尊と大和朝廷創立


 

卑弥呼の死  卑弥呼は天照大神か?


 

狗奴国 九州説 (水野説)  大和説



http://blogs.yahoo.co.jp/nagaiufo/33119350.html

0 件のコメント:

コメントを投稿